仮立舎ホーム・ページ 立読みコーナー 『悪弟子の命脈』   
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 で、その助かり得ないというような自分の人生を、敢えて果たし尽くしてゆこうとするこの意欲と言うか、意志と言いますか、凡夫の身を生きてゆこうとする意志あるいは意欲。これはあのぅなんでもないことでありますけども、「阿弥陀の本願」と言われてくる内容なんでありましょう、これは。ま、これも「汝是凡夫」ということを、ま、「助かり得ない」ってことが「首根っこ」であると、皆さんもそう思うかと思うんです。

          (八)

 「阿弥陀の本願」とはこれは、凡夫の身を知った者を通しますとですね、凡夫の身を敢えて果たし尽くしてゆかんとするこういう意志、凡夫の身を生きんとする意欲と。これはあの「阿弥陀の本願」と、こういうようなことだというふうに受け取ってます。ですから凡夫の身を生きんとする意欲が起こってくるっていうこと、これはまぁ専門用語を使いますと、「欲生心の成就」でありますけれども。いうならば、私どもの上に「阿弥陀の本願」が成就した出来事と、こうもまたなってくるわけであります。これは特に「信心」ということの大きな内容になってくるわけでしょう。
 ですからそういう、「阿弥陀の本願」というのはですねぇ、つまり凡夫の身を生きる、生きんとする、生きてゆかんとする意欲というのは、どこにどういうかたちで現われ出ているのかとなりますと、現に凡夫の身を生きていらっしゃる方、あるいは既に凡夫の身を生きてゆかれた方の上に、実は凡夫の身を生きようとする意欲は現われ出ていると、こういうことでしょう、これ。決して難しくないことであります。
 ですから、これ私どもの方から見ますとですね、これはどんな人も凡夫なんだというんですけども、しかし、その凡夫の身を生きようとするってこういう意欲、「阿弥陀の本願」ってことに気が付けばですね、それ、どんな人の中にもこれ流れているわけであります。誰の中にもそういう凡夫の身を生きてゆこうとする、まぁ意志、あるいは意欲というものは皆、脈打っているんであると。
 ただし、そういう本願が表に出ている、あるいは本願を顕され、現われているのはどこに顕れているかになりますと、これは凡夫の身を現に生きていらっしゃる方、あるいは凡夫の身を生きていかれた方。つまり、助かり得ない、っていうことを知らしめられることを通しましてですね、助かり得ない己の人生を果たし遂げてゆかれた方々、あるいは現に果たし遂げてゆこうというふうに生きていらっしゃる方々の上に顕れ出ているということであります。
 その本願の、つまり「阿弥陀の本願」が顕れ出たもの、あるいは「阿弥陀の本願」が現行したものというのが、「本願の名」というんでしょうか、いわば、「名号」になってくるわけでありますから。その「名号」ってことを私どもの方で、「本願の名」ってことを「南無阿弥陀仏」って表わすわけでありますから。
 そうしますと、やっぱり「南無阿弥陀仏とは?」とこうなりますとですね、これは現にあの、「阿弥陀の本願」を生きている人でありまして、具体的には、助かり得ない人生を現に生きていらっしゃる方、あるいは現に生きてゆかれた方、というのがこれが、実は、他ならぬ、「南無阿弥陀仏」というこういうことなんでありましょう。
 ま、本願の現行している、「本願の名」とこういうことでありますから、それを「南無阿弥陀仏」というふうに言うならばですよ、「南無阿弥陀仏は?」となりますと、これは現に助かり得ない人生を生きてゆかれる方と生きてゆかれた方とに顕れているっていうことでしょう。よくよく見ればそういう方々ってのは、実際にたくさんいらっしゃるっということでしょうけどもですね。
 ですから、そういう「南無阿弥陀仏」を称えると、あるいはその名に称うという、ま、称名ですけども、「どういうことが?」になれば、そういう「南無阿弥陀仏」に触れてこちらもまた「南無阿弥陀仏」に成ってゆく。「南無阿弥陀仏」を忘れていた私どもが「南無阿弥陀仏」に成ってゆくということは、これはあの、また言えば、「称名」、名に称ってゆく、いわゆる「称名念仏」と、こういうかたちにはなるわけでしょう。
 そういう観点で「お念仏の一行」ということをもう一遍見直してみますならば、やはりなんにもならないと言いますか、徒労の「南無阿弥陀仏」であればこそ、なんと言いますかですね、まさしくそういう、「阿弥陀の本願」をまざまざと現行しているというふうに受け止め直さざるを得ないということは、私の場合にはあるんですねぇ。まっそういう、「念仏の一行」ということを、何とか、こういう場処でもってハッキリさせていかねばならないし、ハッキリさせていきたいなあというのは、まぁ特に、「一行の会」という名前でもって願われていることではないかなぁということを、まず感ずるんですねぇ。
 まぁ少し舌っ足らずな表現なんでありますけれども、まずそういう面でですね、えぇまぁ、あの「助かり得ない」ってことがひとつ要であると。やっぱり「助かり得ないっていう身を生きてゆく意欲」のことを「阿弥陀の本願」であるということ。そして、そういう「助かり得ないそういう己の人生を生きてゆく」ってことが、とりもなおさず「南無阿弥陀仏」の六字でもって言い表わされてくる内容なんであるということだけ申し上げときます。
 ま、本願も、分かって分からないでしょうし、まして「南無阿弥陀仏」ってことも、これは分かって分からないと。そしてまぁそう分かりませんですから、「称名念仏」ってこともなかなかハッキリしませんもんですから、一応そういうふうに申し上げときます。
 ま、その面におきまして、宗祖が顕して下さいました「教行信証」という仏道というものは、これはあの、病気で言えば「治らない」、こういう仏道なんだと。ですから片や「教信行証」がですね、病気を治してゆく仏道に対していえば、治らない教えということにおきまして、治らない者の人生を果たし遂げてゆく仏道なんであると、それが「教行信証」でもって示されているんだと。したがって「念仏の一行」ということも病気を治してゆく仏道として見るのか、むしろ治らない人生を果たし遂げてゆく道を歩ませる「仏の行」と取るのか、そのことに違いがあるんでしょうし、それはもう一遍、今日に於てはやっぱり問われてくるということがあるんじゃないかと、こう思うわけであります。
 そしてまた、「治らない」という観点での念仏と受け取るならば、もう少し私どもはやっぱり先輩方、あるいは大勢の方々から連綿と伝えられてきた「南無阿弥陀仏」の道にもう少しやはりデンと構えて、もう少し自信を持っていいんじゃないかと、こう思うんですね。あまりにも自信がないってことは、グラグラしてるってことは、やはりそれだけやっぱり念仏の道っていうことが諸行の中の一つとして受け止められてきていることの裏返しじゃないかと、そういうことだとすら思われると私は思いますですね。
 もっとお互い、そういう「教行信証」に於ける「念仏の行」の何であるということを明瞭にしてゆくことを通しまして、互いにそういう、その観点での「念仏の一行」に巡り遇った喜びもあるでしょうし、その「念仏の一行」を修めている、まっ受け伝えていくことの、この自信ということはもっともっとこれは回復してもいいんじゃないのかと。ま、そのこと以外では、やっぱり教団の復興といいますか再興させてゆく道もないんじゃないかというふうにも、これはまぁ思うわけであります。
 ちょっとまぁ一時間ばかりですが、少しオーバーしました。
 ちょっと休ましてください。

   (九)

 もうちょっとお付き合い下さい。
 まぁ前半は、今は少し思っていること申し上げたわけでありまして。もう少し、後半「こんなことは」ということを、お話申し上げてみたいと思っています。
 で、それはですね、親鸞聖人にとりましての法然上人のお仕事を受けて『教行信証』を製作されたまぁ意義というんでしょうか、あるいはその『選択集』と『教行信証』とのいわゆる繋がりということが、自分としては気に懸かっているんですねぇ。
 ご承知のように、まぁ「念仏の一行」ってことになりますと、「阿弥陀の本願」っていうことに眼を向けますとですね、第十七願ですね、『聖典』でいきますと十八頁ですけども、
  設我得仏、十方世界 無量諸仏、不悉咨嗟 称我名号、不取正覚。
えぇ第十七願ですね。ま、先輩方のご指摘を通しますと、宗祖は『選択集』、つまり法然上人を通しましてですね、いわば第十七願の世界を見い出してゆかれたんであると、こういうふうにまぁご指摘をなさるわけであります。
 特にまぁ第二十願の問題を通しまして、第十七願を見い出してゆかれたと、それが『教行信証』の製作に繋がってゆかれたんであると、いうふうにまぁご指摘をされるわけでありますし、ま、『選択集』あるいは『教行信証』を分からないなりに目を通してみますと、成程そういう次第にはなっているかなぁと思わされるわけであります。
 そして「真実の行」を顕すということは、ま、願文としましては今申しました、宗祖は第十七願文を挙げられるわけであります。「顕真実行」というかたちで、第十七願を受け止めていらっしゃる、「諸仏称名の願」としてご覧になっていらっしゃるわけであります。
 で、その第十七願につきましてですね、なかなか私どもはですね、眼が向かないんであると。ま、先輩のご指摘を通しますと、宗祖において初めて第十七願の問題を全面から取り上げられるようになったんであると、こういうご指摘をされるわけであります。
 現にこれあのぅ、「念仏の一行」ってことになりますと、宗祖が「諸仏称名の願」としてご覧になってます第十七願の問題、これは、避けて通れないことになってくるわけであります。しかしながら、なかなかあの第十七願ってことが、私どもにとりましてやっぱり問題にならないってことを、私個人としても感じておりました。
 で、この願文だけ読みましてもですね、一体これはどういうことを誓っている願文なのか、何を問題にしている願文なのかということは、この願文だけを読んでもなかなか、さっぱり分からないということがひとつあるわけであります。ま、そこのところは少し特に今回「念仏の一行」という観点におきまして、気に懸かってきたということであります。
 で、「念仏の一行」ということを法然上人の『選択集』から宗祖はどのようにご覧になられたのかということですね。ま、これはあの僕個人としてみますとですね、曽我先生の還暦の記念講演で挙げられました、いわゆる「親鸞の仏教史観」という有名なお話、ま、講演集があるんですけども、そこから気になるわけですね。
 自分にとりまして法然上人の『選択集』ということと、それから曽我先生の『親鸞の仏教史観』ということが、これはなんかダブってきてるんですね、この頃。ですからそういう面におきましてですね、えぇ宗祖は『選択集』をどういうふうにご覧になったのかということ。はたまた法然上人に出遇うことを通しましてですね、宗祖は第十七願を、まぁ感得されていかれたんであると、こういうご指摘を受けますならば、宗祖におきましてどのようにして第十七願が見い出されていったのか、というこいう疑問を自分としては持っているんですねぇ。ま、これも如何なものかということであります。
 ま、法然上人が、「浄土宗を独立させる」っということは、これはやっぱり「凡夫の教え」ってことを独立させたんだと、こういうふうに取るわけでありまして。ま、おそらく法然上人にとりましてですね、法然上人ご自身を救って下さる仏教は、これは無いんであるということ、これが浄土宗一宗でもって法然上人が言わんとした、それが眼目であると、僕は観てます。通常はあの助からないものを救けるのがお念仏の教えだと、こう取るわけでありますけれども。
 法然上人の『選択集』を親鸞聖人の眼で読み返してみますならばですね、えぇーなんと言うんでしょうかですね。法然上人を救う仏教は無いから、だから念仏なのだと、こういうふうに受け止めがちなんですけれども、そうではなくしてですね、えぇーその念仏も法然上人にとっては救いにならなかったと。したがってあの、本願念仏というのはまぁ申しましたように救済の方法、あるいは救済の手段としてのお念仏ではないんだと、何を以てしても、いうならば、お念仏を以てしてもこれが諸行であっては救われないんである、ということが浄土宗一宗の大きな眼目ではなかったかというふうに思うんですね。
 なぜならば、これは凡夫往生の道として法然上人は浄土宗を独立させるということがあるわけでありますから。ま、そこがひとつ自分としては思うんで、そういう面で凡夫の自覚ということをやはり明々白々と明瞭に打ち立てていかれたと。まぁやはり凡夫の道ということを『選択本願念仏集』というかたちで明らかにされていかれたんであるということを、まぁ思うんですねぇ。
 ただまぁ『選択集』を直接見ますと、第十七番目の願文ということは直接的には取り上げられてないわけであります。まぁ「本願章」におきましては第十八願を取り上げますし、更にまぁその他に二つ名号を取り上げた願文、善導の言葉を取り上げてありますけれども、いずれにしましてもやはり「諸仏称名の願」ということが『選択集』においては直接的には取り上げておられないということをひとつ思っているわけであります。

   (十)

 で、そういうことを思いますとですね、先程も亡くなった渡邊さんのことを自分としては憶い浮かべるわけであります。ま、いわば、助かりたい助かりたいと言いながら、助からない話を聞き続けて一生涯を閉じていかれたということがあるわけなんですねぇ。その生涯ということを、ま、亡くなられてみますとですね、最後は聞く身になって聞いて聞いて、私のわけ分からない話を聞いて下さいましてですね、そしてまぁ一生涯を閉じていかれたということになるわけなんですね。ま、そう思いますと、やっぱり人生ということも聞法に窮まるというんでしょうか、聞くことに尽きるんであるということを身をもって示して下さったように、そういうふうに私には映るわけであります。
 これはまぁ、私にとりましては何よりも一人渡邊さんに代表されるわけでありましょうけれども、分かる分からないを超えてただただひたすらに聞いてゆかれたご門徒さんというのは、どこにでもこれはいらっしゃるわけであります。どんなお寺にもどんな方にもやっぱりそういう、あのぅわけの分からないような話を分からない分からないと言いながらひたすらにやっぱり聞き続けて、そしてまぁ一生涯閉じていかれたいわゆる聞法者。それはよく見れば点々といらっしゃるわけであります。私としましては、その代表としてまぁ渡邊さんの名前を挙げさしてもらったということであります。で、そういうお姿を見ますとですね、やっぱり……(長い沈黙)。
 ……やっぱりその「聞法」というのは法を聞くということですけれども、これはあのぉいわば「聞法は「証」である」ということを、もう、身をもって教えて下さって命終されたということを、強く私は思うわけですね。
 私個人としましては先程申しましたように何とか助かりたいとかですね、えぇ何とか悩みを解決したいとこういうスケベ根性を持ってやってますからですね、聞法したって何になるということ、やってもやっても直接効果は出ませんもんですから、大体バカバカしいとこういうふうになるわけでありまして、ま、たまたま私の場合は周りの方のご縁に恵まれましたから、それでもバカバカしいというか何にもならないと頭を抱えつつ、それでも動かされてやってきたわけでしょうけれども。
 やっぱり聞き抜く人ってのはこれは容易じゃないでしょうし、聞き抜く人もやっぱり少ないわけであります。私ども仲間内におきましてもですね、初めは聞法するわけでありましょうけれども、だんだんだんだん、これやっぱり聞法しなくなってゆかれるということを、ま、ずいぶん僕は見てきているんです。やっぱり何かのための聞法あるいは何か手段のための聞くという、こういう聞き方を、ま、誰でもそこから入りますし、私もそういう聞き方をしてきたわけであります。しかしま、それは今申しましたように聞いたからといって何にもなるわけないということがあります。と同時に何にもならないような聞法をひたすら聞いてゆかれた方々、自分の上でも数はそれほど多いというわけではないんでしょうけども、それでも点々とやはりご縁を頂戴してきたということがあるんです。ですから、分かったからどうのとかではなくして、分かる分からないを超えて出来る出来ないを超えてただただもう、ただ聞法してゆかれたということをひとつ思うんですね。
 ま、そういう面で言えば、まぁ聞法はやはり「行」ではなくして「証」なんであるということですね。
 ま、正確に言えばそのさっき申しましたように、病気を治してゆく道ということを宗祖においては方便というふうにご覧になりますし、むしろ治らない人生を果たし尽くしてゆく道ということの方を「真実の道」と、こう顕すわけでありますから。そこで言うならば、私としましては「聞く」ということを「方便の行」、あるいは「教信行証」における「行」として受け止めてきたわけですけれども、そうじゃなくして「真実の証」として聞法ということが、まぁ私どもの上に指し示されているということを、ま、自分としては感じております。
 くどいようですけれども、「助からない」ということは大事でありまして、ま、そこで言えばなんか情けないような話になるんでしょうけども、私どもがやはり日頃抱えている悩み苦しみということをそれほど深く重く受け止めているということなんでありましょう。
 少しぐらい何とかすればカタが着くようなそんなやはり軽い薄っぺらい悩みではなくして、どんな人の悩みもこれはもう、どんなに一生懸命やってもカタが着かないほどの深く重い悩みなんであるということが、見据えられているということがあるんだと思います。それだけやっぱり、人生ってことを重く深く受け止める眼があるわけでしょう。
 そういう面において私どものやはり苦悩の人生を尊ぶというんですか、本当に尊ぶという相が「助かり得ない」ということの中に顕されているということは否定できないでしょうね。
 ま、簡単に「治りますよ」っていうことはそれだけ悩みっていうことを軽く見ているということの裏返しになると思います。ま、そこはまた否定するということではないですけども、そこを通しましてですね、その凡夫の身に目を覚まして凡夫の身を生きるということになりますとですね、これはもぅ、どうしてもやっぱり先立って凡夫の身を生きていかれた方々の方に眼が向いてくるっていうことも、これは事実でありましょう。
 治りたい治りたいと思っているときにおきましては、やはり現に治った方々あるいは現に良くなっていかれる方々に眼が向くわけでありますけれども、「治らないんだ」ということになりますと、そういう治った方あるいは治っていかれる方々ということは直接自分とは関係が無くなってゆくというんですか、とにかくもう自分にとっての目安ではなくなってくるというふうになるわけでありまして。そうなりますと、凡夫の身を生きていかれた方々がどういうふうな歩みをされたのかと、あるいはどんな悩みを抱えてどんなお気持ちでもって凡夫の身を果たし尽くしていかれたのかと。助からない人生を生きていかれた方々の方に、これは眼が向くはずであります。その方を手本として、その方を道標として、自らもまた凡夫の身を果たし尽くしてゆく、こういうことにならざるを得ないわけでありましょう。
 そこでまぁ凡夫の身を生きた方々はそれこそ凡夫の身を生きようというふうに決断、選び取って、そしてその「阿弥陀の本願」ということをまざまざと身をもって示していらっしゃる方なわけでありますから、そういう先だって凡夫の身を生きて下さった方々を目印、道標として生きてゆくっていうことは、その方々を通して、その方々の上に顕されてくる阿弥陀の本願を聞き取ってゆく歩みになってくるわけでしょう。それが手段になるわけでしょう。
 そういう面におきまして、あのぅ名号・南無阿弥陀仏を通しまして、南無阿弥陀仏として現われてくる本願を聞いてゆくという生活が、取りも直さず凡夫の身を自覚した者に開かれてくる、まぁ「証し」というんでしょうか、生活になってくるわけでありまして。それが、言うならば、
  聞法が「真実の証」である
と、私が申し上げる意味なんであります。
 ですからそこにおいてはもう分かる分からないということを超えてですね、分かろうが分かるまいがぁ、凡夫の身を生きた方々を通しまして凡夫の身を生きていかれた人たちの上に現われてくる「阿弥陀の本願」を耳を澄まして聞き取ってゆく、こういうことに、ならざるを得ないわけでありましょう。
 ですからそういう面での聞法っていうことはですね、何か病気を治したい・何とかのために聞いてゆくというような聞き方とは、やはり聞く態度・聞く姿勢ということが、まったくこれは違ってくるわけでありましょう。ま、先立って私どもの上に与えられている南無阿弥陀仏を通しまして南無阿弥陀仏になってくる本願をひたすら聞いてゆくっていうことが具体的には「聞法」ってことでありましょうから、その聞法生活ってことが、いうならば信心が開いてくる「証」ということになるでしょう。

 

   (十一)

 ま、少し違いということを言うならばですね、こう思ったほうがいいのかなぁ、ええと、まっ、
  信心を開く行
ということと、
  信心が開く証
というふうに少し言葉を添えておきますならば、その少し目安というか、目印がつくかなぁと、こういう表現を一応しておきます。
 ですからあの、僕も聞法ってことは、いわばその治す意味での「行」、つまりあの「方便の行」として見ていたんですけれども、そうではなくして、今申しました「真実の証」っていうのを、「顕真実証」として聞法の生活がまず、仰がれてくるっていうことがあるんですね。これは一点、自分としてはやはり大事なことじゃないかということになっていくわけであります。
 まぁそうしますとこれからも先程のことと重なるんですけれども、やっぱりその聞法はこれは「証」であるんだ、「証し」であるんだ、「行」ではないんだと、いわゆる「方便の行ではないんである」ということを、今日明瞭にしていかなきゃならんていうことを思いますですね。
 なぜかといえば、聞法したぐらいなんになるっていうことですよね。聞法っていうことがどうしてもこれは軽く見られてゆく。我々自身がもしかしたら聞法っていうことをですね、軽んじているというふうに言ったら言い過ぎなんでしょうけども、「南無阿弥陀仏」にご縁を頂戴した私どもがむしろ「聞く」ということを軽んじている。まっ徒労に終わるっていうことを申しましたのも、そのこと自体がもう軽んじてきた相であるというふうに申し上げねばならないところでもあるんですね。
 で、これはこれとしていいんですけれどもですね、そういうことを通しましてですね、その聞法が「証」であるということ、もう一遍これが何というんでしょうかね、自分にとりまして問われているということがあるんですね。
 そのことがですね、一つ先程、まっ「ナベさん」というふうに気安く呼ばしてもらったんですけどもですね、今井先生の「無上院様」「無上院様」とこういう口調が私に非常に響いてきたと申し上げてくることにもなってくるわけですね。実は、その今井先生の、この「無上院様」というこういう言い方に、何か触発されて思わされたことなんであります。
 と申しますのもですね、これはあのぉ亡くなった渡邊さん個人にとりましては聞法、聞いてゆかれたってこと以外の何ものでもないわけですが、それが私にとりましては正しく「真実の証」であるってことを顕して下さったってことが一点あるわけであります。で、そのことがですね、私自身にとりましてはですね、同時にですね、「真実の行」を顕して下さっているというふうに受け止め直されてきたということなんであります。
 ま、ご当人にとりましては「真実の証」を顕して下さっているということと、そのことが同時に残された私にとりましてはそっくりそのまま「真実の行」を顕して下さっているというふうに、これは転んじられてきたということなんですね。ですから、聞法していかれたということの「こと」自体は変わらないんですけれども、それがご当人は「顕真実証」を顕し、でそのことが取りも直さず私にとりましては「顕真実行」として現われる。そういう面で言えばですね、「真実の証」というのが「真実の行」に転んじられてくるというんでありましょうか、あるいは「真実の証」が「真実の行」にまで展開されてくるというふうに申し上げてもいいんですけども。そのことを思うんですね。
 だからご当人にとっての「真実の証」ということが、ま、それだけには留まらず、まぁそこだけに納まらずしてそこから更に波及しましてですね、当人にとりましての意図せぬ「真実の証」ということが私にとりましてはですね、これが「行」、「真実の行」として現われ出てくるということですね。
 何でもないことなんでありますけれどもですね、えぇここなんですね。ま、これも私だけではなく、おそらく今申しましたように本当に聞く、ま、聞いて聞いて最後は聞くだけの一生涯に納まるようなそういうただ聞法していかれた、だから「唯聞法者」って、聞法された方々にはおそらくいろんな処に於てお目にかかっていらっしゃるかと思うわけであります。そしてそういう「ただ聞法者」ということを、まぁいろんな面でやっぱり見送ってきたという体験もおそらく共通してあるんだろうと思うんですねぇ。
 ですから、その「唯聞法者」「ただ聞法者」ということを見送ってきた私どもにとりまして、その「唯聞法者」っていうことをどういうふうに受け止めていかれたのかということも、これはまっ、お互いにやっぱりもう一遍、というとまぁ僭越なんですけども、私個人としてはやっぱりそのことがまぁ発題というならばそういう形ですけども、特別発題の形にはなるんであります。
 で、僕にとりましてはですね、ご当人にとってのやっぱり「真実の証」ということが、つまりは信心が開いた「証し」ということがですね、自分にとりましては信心を開く「行」として受け止め直されてくる。ま、どういうことかと言いますと、えぇやっぱりその聞く、分かる分からないを超えて、利害損得好き嫌いを超えてひたすら聞いてゆかれたということ、それが取りも直さずそういうかたちで「凡夫の身を果たし尽くしてゆかれた」ということ。
 ま、こういう御一生涯を目の当りにしますと、お前の方は一体どうなんだ、どういう人生を歩もうとして生きているんだ。あるいは今までどういう人生を歩んできたのか、これからどういう人生を自ら選び取っていこうとしているのか、というふうに呼びかけられ問いかけられてくるというふうに自分には映ってくるわけであります。「自分としては助からない人生を、ま、果たし遂げて命終したんだけども、お前の方はどうなんだ」と。「俺はこうやって生きて一生涯を終えたけどもお前はどうなんであるか」と、問い掛けられているということであります。
 で、そういうまぁ亡き人、ただ聞法してゆかれて亡くなっていかれた亡き人の前に立たされますとですね、やはりですね、自分としてはまだまだ治りたい何とかしたいと、こういうり野心というんでしょうか、まぁスケベ根性がどうしても拭い難くあるというふうに照らされるわけであります。
 ま、これはあのぅ今日はこういうかたちで私が一応話す側に回ってますけれども、これはあの、まっ自分がこう言うとおかしいんですけれどもですね、ハッキリ申しまして話をするぐらいはなんてことないと僕は思ってますね。ちょっと勉強すればもっともらしい話が出来るんでありますから、そんなことぐらい誰でもできるわけ……。
 しかし、話すことに比べて「聞く」ということはですね、これは容易ならないんじゃないでしょうか。常に話すことに於てはやっぱり野心が伴ったり、ま、いわば名利の心が絶えずこれは渦巻くわけでありまして。えぇまぁ僕なんかもこういうことで今現在生活しているわけでありますから、なおさらそういうこともあるわけであります。そこそこ勉強すれば、それこそこんなことぐらい言いますし、そこそこ稽古すればお声明あげられますし、お聖教だってそこそこ勉強すればお聖教について語れるわけでありましょう。けれどもですねぇ、ひたすら聞くってことになりますと、そういう野心とかあるいはそういうスケベ心がある限りに於ては、これは僕は聞けないと思ってますですね。
 だから聞いて聞いて聞き抜かれるっていうことは、そういう面でいえば、そこで較べるならば、お経を覚えてお経を唱えるとかですね、少しお聖教を学んで話をするなんてことはタカが知れてるっていうとちょっと言い過ぎですけども、まっそういうことは思いますですね。だからですねぇ、僧侶の人が、お経をあげてあるいはお話をしてお金をもらうなんてことに後ろめたさを覚えるなんてこともあるんだと僕は思いますけどもね。
 で、しかもまぁ僕らが教わってきたのは、自分の先生がそうですけども「聞く」ということ一つを教わってきたんだと、こういうんですね。要は何を教わってきたかになりますと、「聞く」っていうことを教わってきた、それも「ただ聞く」っていうことを教わってきた。まぁ自分の先生がどういうことを肚の中で思っているかは分からないんですけども、おそらく、「『聞く』っていうことはこういうことなんだぜ」と、いうことをですね、いろいろと手を替え品を替え丁寧に教えて下さっておられるんだろうなあということを、ま、自分は思うわけでありまして。
 ま、それだけやっぱり「聞く」ということの大変さ、裏返せばその「信心が開かれる」ことの大変さということがあるわけですね。ま、僕はそう思ってます。だからこんな、というとまた皆さんに失礼になるんですけども、「お話する」ってことはあんまり大したことはないっていうことを思いますですね。ま、それはそれで「聞いてきたことを、自分自身の中で反芻する」ということで、まぁ少しいいんですけども。
 つまり、貴重とするのはただ聞くだけの一生涯を終えていかれた方々だと思いますですね。そうしたこともやっぱり照らされてくるわけなんですよね。それはやっぱりその教えを語る人の方がなんかいえば価値が上であるという、聞く人の方が下であるかのごとき印象も、ともすればあるわけであります。まぁ僕も今八王子に行かされてますし、大竹さんもまぁ何かこの頃今井先生んとこに、ま、お話に伺っているわけでしょうけれども。
 やっぱり渡邊さん、「先生」っていうふうに僕らのこと言うわけですよ。大竹さんもですね「大竹先生」と言われまして、「非常に困る」と言ったそうであります。私も言われてきたんですねえ。「先生と言わないで下さいよ」とこういうふうに度々固辞してきたんですけどもですね、「先生と呼ばしてくれよ」と、「「先生」と呼ばしてもらわないと俺が困るんだ」というふうなことをですね(笑)、これはあのよく言われて参りましてですね、まぁしょうがないからもう面倒くさいから一応まぁ僕もナベさんとの関係でありますから「先生」と呼ばれるのに甘んじてきたということがあるわけなんです。
 しかしまぁそういうことを思いますとですね、いかにこの自分の在り方ということはですね、「真実の証」としてのですね、聞法生活とかけ離れているか、あるいはそういう「唯聞法」になっていない何かのための聞法で、いろんなやはりスケベ根性が混じっている聞法でしかないということをですね、そういうことが思わされますです。またそれだけにですね、そういう「唯聞法」をしていかれたっという一生涯ということをですね、ま、残された自分の上にとってまいりますならば、やはり「凡夫の身を知らせる」、また「凡夫の身をまだ自覚していない私どもに凡夫の身を自覚を迫ってくる用き」として受け止め直されてくるということであります。
 それは「真実の証」を顕して下さったが故にそういう私どもに、やっぱり凡夫の身の自覚を迫ってくる。もっと言えば、忘れている凡夫に目を覚まさせ、また凡夫の身に生きようというふうに決断せしめる用きとして、えぇ、唯聞法していかれた方々の一生涯ということが受け止め直されてくるということ。
 それはそういう面で言えばなかなか信心を持ち得ない私どもに信心を開いてくる、やっぱりその「真実の行」として用いてくると受け止めざるを得ないことであります。これも如何なことかと思います。ま、当たり前のことと言えば当たり前のことでありまして、自分としてはそこがなかなかはっきりしていなかったということなんですね。
 ここのところがそういう意味で「真実の行」として受け止め直されることを通しまして、えぇ『教行信証』を目印にしますと、「真実の行」を顕す願文としての「諸仏称名の願」、いわゆる数字でいきますと第十七願のところにいわば、眼が向かってくるということであります。
 そうした何と言いますか、今申しましたように第十七願で顕されてくる「真実の行」ということになかなか私どもが眼が向かないでいるということは、そういう意味でいえば取りも直さずやっぱりただ聞法していかれるっていう方、つまり「顕真実証」を顕した方々が、非常に稀有であるということがひとつ、もしかしたらあるかもしれないですねぇ。
 またそういう方々は直接表に声高に自分の存在を叫んでいらっしゃるわけではないですから、なかなか私どもにおいて目立たないかたちであるだけに、僕らの方が見落としていたり見逃しているということがあるんだと思うんですね。
 もっと言えば、自分がやっぱりそういう助かりたいというかたちで学んでいますから、そういうただ聞法していかれた方々を、やはり居られたとしても出遇い得ないという問題もこれはあるように思いますですね。自分の場合はそう思います。
 しかしいずれにしましても言葉としましては「真実の証」転じて「真実の行」ということは、あの今井先生のですね、「無上院様」というこういう響きを以てですね、自分において教えられてきたことなんであります。つまり、自分にとって信心を開いて下さる方としてただ聞法していかれた方々が、受け止め直されてくるということになるわけであります。ま、「真実証」転じて「真実の行」。
 いわば「渡邊さん」転じて「無上院様」と、ま、言葉を使えばそういうようなことになってきますね。これは極々目立たないところでありましょうけども、いろんなところにあると思いますけれども。
 私もそういう一例に則して申しますと、ただただ念仏、あのぅ、ただただ聞いていくだけというなら「だけ」の歩みだったわけですけれども、そういうこと通しまして、お付き合いというか、ま、渡邊さんとの関係を頂戴したわけであります。お名前を出しました住職の今井先生、あるいはここにお見えになります鶴谷さんあるいは僕、大竹さんもそうでしょうし、ここにいらっしゃる面でいえばそういう方々の関係をただ聞いていかれるということを通して、聞いて下さったのが渡邊さんの御一生涯であるわけであります。

  (十二)

 そういうことを思いますとですね、ただ聞いていかれるという歩みを通して開かれてくる世界というものを、まざまざと、これはあるんだということが知らされてくることであります。
 お聖教の言葉を通して言えば、それがあの「真実の証」ということを通しての開かれてくる、ま、ご存じ第十二願、第十三願、「光明無量・寿命無量の願」として顕されます。真仏・真土、いわゆる「阿弥陀仏の浄土」ということになろうかというふうに自分も思わされるます。
 そういう間柄であればこそ「真実の証」というものが、「真実の行」へと転じていったのであろうなぁというふうにも思われるわけであります。
 そこで言えば「光寿無量」と言われてくる第十二・十三願の世界、光寿二号でありますけれども、そうしたこともですね、これはどういう用きをしてくる国土かということがですね、やはり問題になりましょうね。凡夫の国なんでありますけれども、「助かり得ない身」なんでありましょうけれども、一つはやはり、ただ聞法していかれた方々に、出遇わせてくる場処というか、こういう世界なんであるということ。これは僕はハッキリあるんじゃないかと思うんですね。同時にまたそういう、ただ聞法していかれた方々に出遇わせるということを通しまして、「真実の証」というのを「真実の行」へと転じせしめる用きをする世界というのを、真仏土として、宗祖は頂かれていらっしゃるのではないかということを、こう思うわけであります。
 少なくとも一緒に聴聞をしてきた仲においての間柄がなければ、やはり「真実の証」を顕して下さった人とはなかなか見えないわけでしょうし、またそういう関係がなければ僕らにとりまして「真実の証」というのが、「真実の行」として転ずることも無かったんではないかと。いわば、「顕真実証」「顕真実行」へと転ぜしめる智慧というものが阿弥陀の光明として、一つの内容として顕されているということを自分としては思っていることであります。
 ですから、そういうことを通しますと、えぇ、親鸞聖人が法然上人に出遇われたということこれは、あの『選択集』を書写さしてもらって、しかも法然上人の真影を図画さしてもらったということを「後序」におきましてわざわざ非常に懇切丁寧にこれは、記していらっしゃるわけですね。年月日まで加えていらっしゃるわけであります。ご自身のご体験ということをほとんど記していらっしゃらない宗祖にしては、珍しいことになるわけであります。で、これはやはり宗先生の言葉を使いますとですね、いろんなお弟子との関係があるわけだろうから、親鸞聖人の方からですね、法然上人に対してですね、『選択集』を書き写させて下さいと頼んだんじゃないかと。また、図画させて下さいとお願いしたんじゃないかというようなことを、この間おっしゃってまして、ま、そういうところですね。
 そこにですね、ハッキリとこれはですね、やっぱりその救われない教えがあり、救われない人生を果たし遂げてゆく仏道があるんだということを、宗祖においては感得、確信されたということ。そしてその人生を自分もまた歩んでゆこうという、そういう決意表明ってことが、いえば「専念正業の徳」「決定往生の徴」として謳われているっていうことが一点。
 しかも、そういう救われ得ない道を果たし尽くしてゆくのが、まさしく真実の仏道である。仏道の本流であり、源流であるということを顕す、それがあの書写と図画のことをわざわざ記すことによって表白されているっていう、自分も、ま、これはそう見たいですね。
 しかもそれは単にご自身がそういうようにその「道」ですね、治してゆく道が方便として、むしろそしてそれを通しまして治らない道が真実の道として見い出されたんだということのみならず、そういう治らない道としての仏道がまさしく私どもの、衆生の上に花開く歴史的な出来事として受け止められたればこそ、書写あるいは図画のことを記していらっしゃるというふうに、自分もまた、これは取るわけであります。
 そのことはですね、具体的にはどういうことになるかと言いますと、今申しましたようにですね、法然上人が身を以て顕して下さった、その「真実の証」、おそらく宗祖にとりましては法然上人のお姿が「南無阿弥陀仏」なんでありましょう。法然上人の上に現われてくる、現われてくる、法然上人の上に現われてくるですね、意欲というのが「阿弥陀の本願」なんでありましょう。
 ですから、それを通しまして、「かたち」としましてはやはり『選択本願念仏集』なわけでありましょうけれども、これはやっぱり「真実の証」ということが顕されてきた内容として僕には受け止められるわけです。ま、表面的に言えば必ずしもそのように受け止められるわけではありませんけれども。
 そのことは取りも直さず、つまり「真実の行」を顕す内容として『選択集』が受け止め直されたということではないかと思うわけであります。ま、これは先程の『親鸞の仏教史観』もそうなんでありましょう。よくは、分からないんですけれど。
 ただ私としては、曽我量深先生がやっぱりモタモタ、モタモタって言われてると思っちゃうんですけれどもですね。そして曽我量先生のおっしゃっていることも安田先生通して、しかも宗先生まで通してちょっとまぁ読み直しますならば、曽我先生が還暦の記念でもって「親鸞の仏教史観」ということで言われたことも、これは第十七願の世界ということをお説き下さっている、と。それは先立って言えば親鸞聖人が法然上人の『選択集』ということをですね、「諸仏称名の願」を顕す内容として受け止めていらっしゃると、こういうことではないかと思うんですね。
 現にこれは今でも書きますけども、法然上人直接のお言葉であります『選択本願念仏集』という題号と、「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と、いわゆる標挙のお言葉です。それから後ろにあります通称、「三選択の文」と言われることでありますけれども、そういうかたちで『選択集』の全体をですね、『顕浄土真実行文類』の中に、これは引用されていらっしゃるわけであります。
 だからというわけではないんでしょうけれども、宗祖にとりましては、その「真実証」が「真実行」として受け止められることを通しまして、『選択集』はやはり「諸仏称名」の世界を顕して下さったんだと。つまり、凡夫の身を生きて下さったんですけども、その凡夫の身を生きて下さったそのこと自体が、即ち宗祖におきまして私どもに凡夫の自覚を促し、もっと言えば凡夫の身であることを納得できない私どもに凡夫の身であるということを知らしめる、「行」として受け止め直されていったということが、これがあるんだと思いますねえ。
 これもそういう願文の次第から見て参りますとですね、「真実の証」ということを、宗祖は一応、第十一願としてご覧になられますし。ま、真仏の世界、光明無量・寿命無量の世界を十二願・十三願に、そしてそれが「真実の行」を顕す十七願の世界へと展開しているということを思いますと、第十一願から十二・十三願へ、さらに第十七願へと、こういう願文の展開の次第にも気が付けばですけども、そうなっているわけであります。
 ただ聞法していかれたこの歩みということは、やはりいろんな願を、十二願、十三願を顕す世界を開げて下さり、その世界を通しまして十七願の世界へというふうに目を見張らせられてゆくということ。そのことがひとつ、ま、仰がれてくるわけであります。

  (十三)

 で、少し、もう少しだけ申し上げてさせて下さい。
 と申しますのは、そういうことを通しますとですね、つまりその「真実の証」が「真実の行」として転じられてくるということが一体どういうことなのかと。あるいはその第十七願という願文がそういう面で言えばどういう願を、どういう内容を顕しているのかということになってくるんであります。で、このことはま、大きな問題として、自分としてはあるんですね。
 一応申しますとですね、そういうふうに真実信心が開いてくる「証」ということが取りも直さず信心を開く「行」として受け止め直されるっていうことが、僕にとりましてですね、やっぱりその凡夫の身を忘れている私どもに凡夫の身を自覚せしめて下さる方として、ただ聞法の一生涯を送ってゆかれた方々が受け止め直され見直され仰がれてくるということでありまして、しかも救われないという、凡夫の自覚ということが急所の一点であるならば、それはあの、ただ聞法していかれた方々がですね、自分をして凡夫の身に自覚せしめて下さる用きをって言いますか、凡夫ってことを教えて下さる先生として受け止め直されてくると。これはあの、私のまぁ「真実の行」として転ぜられてくると申し上げる意味なんであります。
 ずっとただただ聞いていかれた方々がですね、そういう面で言えばですね、自分にとって先生として、つまり凡夫ということを教えて下さる先生として受け止め直されてくるということなんです。
 で、これはですね、なんてことないって言えばなんてことないんだと思いますけれども、それがまぁ僕としましてはですね、大竹さんと僕の例を出しましてですね、えぇ、ナベさんから「大竹先生」と、「大島先生」と言われるっていうことを申し上げた意味になってくるわけでありまして。そうすると、私の方がむしろ「渡邊先生」とは言い難いので、まぁ「無上院様」とこう仰がれてくるわけですけれども。
 ただ聞法してゆかれた方々が、自分にやっぱり聞法、「汝は是れ凡夫である」、「汝是凡夫」っていうことを教えて下さる先生として受け止め直されてみますならばですね、自分にも一応先生がいるわけですし、現に自分も先生の教えを聞いてきた、聞いているわけでありますからですね、一体自分が今まで聞いてきた先生とはどういう先生であったのかということが一つは問われてくるわけであります。で、先生であるという点では変わらないんですけれどもですね、しかし自分が今まで教わってきた先生、あるいはですね、自分が先生と思っていた先生とは全く違うかたちでの先生として気が付かされてくるということがあるんですね。
 これはあの、お寺に居る方はそうでしょうけれどもですね、住職、僧分の方がですね、いわゆる俗分のご門徒の方々と、どうにかしましてですね、一緒に勉強する仲良くするとかですね、そういうことが大事だと思って、非常に近しく一緒に手を携えて歩んでゆくっていうことが大事なんですけども、仮に言えばその僧分にある方がですね、俗分にある聞法していかれたそのご門徒の方を先生として仰ぐということにまで申し上げるとするならば、ちょっとこれはありそうでいてなかなか、ということがあるんじゃないでしょうか。
 一応仮の世界に於ては、一応「大竹先生」「大島先生」とナベさんに言われてきたわけです。ところが今度はそう言われてきた私ども、私の方がですね、むしろ「無上院様」というふうに逆に仰がれてゆくという、転換されてくるということになってくるわけであります。ですから一応今まで自分が受け止めてきました先生ということは言うならば、法を説いて下さる先生であります。
 ところがそういう面で言えば亡くなった渡邊さんはですね、法を説いて下さる、法を説くということは直接的には一切なさらなかった人でありますね。むしろ聞いて聞いて聞き抜かれてゆかれたわけでありますので、法を説くことに対して言えば、あくまでも法を聞くことに徹していかれた方なわけであります。
 ですから、法を説く方が先生であるということは一応これはもう、分かるわけですけれども、同時に法を聞かれた方というのが先生として見みていきますと自分にとっての先生ということは、「法を説く先生」と「法を聞く先生」といわば二種の先生が見い出されてくるということになってくるわけです。
 ま、何を説くかというと別なんですが、ひとまずですね、これは今日でいきますならば、一応宗祖の上で見てまいりますとですね、法を説かれるということを一応代表していらっしゃるのが、お釈迦様ですね。僕らにとってお釈迦様ということはあくまでも法を説く方、先生ということになります。よくよくこういう本願念仏の道に出遇ってゆくならばですね、法を説くといってもそこでの法を説くということが常識的な面から言えば、これは助かってゆく法を説いて下さるお釈迦様ということでありまして、これが今度は見方を変えますとですね、助かり得ない法を説いて下さるお釈迦様と、こういうふうに変わってくる、そういう釈尊観の一応転換があるわけであります。「唯説弥陀本願海」という、こういうお釈迦様ですね、ま、要がひとつそこがあるんですけどもね。
 一応ですね、法を説いて下さるという先生がお釈迦さんで代表されてみますならばですね。で、「法を説く先生」と「法を聞かれる先生」ってことが見い出されてきますならばですね、今までの自分の在り方ということがですね、先生には出遇っていたけれども、法を説く先生に出遇っていただけにすぎないという、こういう感じを僕は持つんであります。もちろん法を説いて下さる先生方がですね、ご自身も「聞く」というかたちで法を説いて下さるわけでありますけれども、自分にとっては、やはりこれは法を説いて下さる先生であります。
 ま、それが少し、言葉としてはお釈迦様で代表されているというふうに見てまいりますならばですね、自分としてはお釈迦様とは別な言葉で以て言い表されてくる先生に出遇わされたと言いますかですね、引き合わされてきたということをひとつ感ずるわけであります。
 それは自分にとりましてはですね、法を説かれる先生の背後に隠れていって見えなかった先生ということに気が付けば、受け止め直されてくるわけであります。ですからそこから見ればですね、法を説く、説いて下さる先生の背後にもう一つですね、法を聞いて下さる、法を聞いてゆかれる先生がいらっしゃったんであると。ただやはり直接的には説法される先生が前面に出ますから、なかなか聞法される先生に眼が向かなかった。説法される先生の陰に隠れて、聞法される先生が見えなかったということを、まぁ僕個人としては思うわけであります。
 ま、そう言う面におきましてやっぱりそのぉ、釈迦一尊の枠を出られなかったということであります。まぁ釈迦一尊という枠内に閉じ込もったままその枠の外に出られないでいたということです。ま、これは、そういう面で言えばお釈迦様の背後にいらっしゃる先生に気付かなかったっていうことであります。
 私はそういうことを思いますとですね、お釈迦様の背後にいらっしゃるですね、こういう法を聞くというかたちですね、私どもに信心を、凡夫の身に目覚め立ち帰り、凡夫の身に生きてゆくことをですね、促して下さる先生がいらっしゃるんであるということを思いますし、そういう面でいえば、それまでの自分の先生ということはそういう聞法してゆかれる先生のところに教えを聞いてゆけと、そういう先生を通してそういう先生に帰依してですね、凡夫の道を歩んでゆけという、そちらの方に指し示して下さる役割をして下さっていらっしゃったのだろうなぁと。言わば、
  聞法をされる先生のところへ発遣して下さる役割をして下さったのが、
  法を説いて下さる先生
であったんだろうなぁというふうに、まぁあの、ナベさんの、亡くなったことを通して思わされることなんであります。

  (十四)

 それで申し上げてみたいのは、一面では、そういう「法を聞く」というかたちで私どもに信心を開いて下さる先生、これがお釈迦様に対して、言うならば、阿弥陀様として言い表されてきている内容ではないかと、こう見たいんであります。
 そこでいえば、今まで申しましたように自分におきましては阿弥陀様不在であったと、あるいは阿弥陀さんを知らないでいたという、こういうことを感ずるわけであります。
 先程、なかなか第十七願ということが問題にならないっていうことを申しました。教団の方はですね、一応「南無阿弥陀仏」をやっぱり看板に掲げている教団であります。それだけにですね、阿弥陀さんを知っている、阿弥陀さんに遇っている、あるいは阿弥陀さんに触れているという、やっぱりこういう錯覚がもしかしたらあるんじゃないでしょうか。
 ですから阿弥陀さんを知らないでいたなどということは、およそ思ってもみないことになりましてですね。したがって阿弥陀さん不在であるなどということは、およそ有り得ないことであるという思い込み。だから別に十七願を問題にする必要もなければ、当たり前のこととして、通り過ごしてきたということ。ま、こういうことも弥陀一仏ということを表看板に掲げているだけに、もしかしたらここは落とし穴になっておりはしないかということであります。
 ま、第十七願。そうなりますとですね、僕はやっぱり第十七願ってことはですね、いわば阿弥陀さんを知らないでいた私どもに阿弥陀さんを知らしめることを誓った願心であると。あるいは阿弥陀不在でいる私どもに阿弥陀を見い出さしめる願といいますか、ですね。
 ですからこう、仮にそうとるとするならば、阿弥陀さんは既に知っているものと思い込んでいる者にとりまして、第十八願などはいまさら取りあげるまでもなく、分かり切ったものとして眼が向かないということ。これまたどうでしょうか。それこそ我々の思いにすれば、阿弥陀さんを発見させしめる願、阿弥陀さんに出遇わしてくる願、これが第十七願として誓われてくる「諸仏称名の願」ということが、ひとつ自分としては窺われるわけであります。
 で、そういう聞法してゆかれることを通しまして、私どもに「汝是凡夫」であるということを教えて下さる先生というのが阿弥陀さんというふうに、これを見るならばですね、これはまぁお釈迦様の背後に阿弥陀さんがいらっしゃるということ。我々はなかなか見えませんですからね、やっぱりお釈迦様が目の前にいらっしゃるときにおいてはなかなかですね、その背後にいらっしゃる阿弥陀さんにまで眼が向かないということ。
 ま、少し私どもが衰えかかりますと、チラッチラッと背後に阿弥陀さんが見え隠れするのでありましょうけれども、背後にいらっしゃる阿弥陀さんがハッキリと目に見えてくるのはお釈迦様がいらっしゃらなくなった、ということを通してなんでありましょうねぇ。
 法然上人の『選択集』、あるいは曽我先生の『親鸞の仏教史観』っていうことも、そこでいえば釈迦から阿弥陀へ、というこういう展開といいますかね。お釈迦さん転じて阿弥陀さんへという、こういうまぁ展開がそこに示されておりはしないかと。しかも初めはお釈迦様から入りまして、そこをくぐって阿弥陀様へと。こういうことも、まぁどうでしょうか。
 そうしますと、今までその説いて下さった先生に、さらには聞いてゆかれるっていうかたちで信心を教えて下さる先生というふうに、「法を説く先生」それから「法を聞かれた先生」っていうふうに、二種の先生になってくるわけでありまして。逆に言えば、私、まぁ自分にとりましてですね、説いて下さる先生の弟子のみならず、聞いて下さった方の弟子になってゆくというふうにですね、先生が一種類ではなくして、二種類の先生として、えぇまぁ変わってくるということであります。ま、言葉を使いますと、「釈迦弥陀二尊教」ということになってくるわけであります。
 宗祖におきましては、この真実の教として、釈迦弥陀二尊の教えであるっていうことを言われるわけであります。で、私どもこれは学んでますから、釈迦弥陀二尊の南無阿弥陀仏の道は釈迦弥陀二尊の教えである、ということは言葉としては知っているわけであります。僕なんかも軽々しく口にはしてくるわけであります。なかなかその釈迦弥陀二尊の教えということが、実際問題としては分かったようで分かってないということ。よくよく見ればそうなっているということでありますけれども、気が付かないでいるということ。ハッキリ言えば説法する人に比べればその位置が、聞法する人は下に見られてくる、見るという、こういう暗黙のイメージということが抜き難くあるわけですねぇ。
 もしも、そういうふうに釈迦一尊でなくして釈迦弥陀二尊の教えであるとするならば、それから言えばですね、私どもはお釈迦様のお弟子になるというのみならず、阿弥陀さんのお弟子になるという。簡単に言えば、二尊のお弟子たらしめられてくるということ。
 そうなりますと、日頃私どもがいろいろ、ずーっと今までやってきたですね、これは連綿と続いてきたその、真宗教団の秩序すら崩れかねないというような教えになってくるんじゃないでしょうか。私はまぁ本山から非常に評判悪いわけですから、非常にまぁ、評判悪くてもいいんですけどもね、しかしそういうようなかたちにまで繋がってゆくということを、思うわけであります。
 実際、僕もそうですけども、それはやっぱり真ん中に座らされてますからですね、あるいは上に座らされてますから、それがまたなんかペコペコ頭下げて丁重に頭下げてますと、「そんなことやってくれるな」と、これ言われますですね。こういうことがありますから、そういうかたちで成り立っている在り方ということは、「二尊教」が崩壊していくっていう形にになりかねないですよね、これは。
 しかし、そこがやはりいわば、弥陀一仏というふうに言ってくるならば、釈尊を通した弥陀一仏でありますから、これはやっぱりその聞法されていかれた方々のそういう御一生涯を通して、聞法を、何と言いますかねあの、凡夫に目覚めてゆくこういう道筋になってゆくわけでありましょう。ですから仰ぐ方というか先生ってことがやっぱり一種なのか二種なのかと、こういう問題になってくるわけでしょう。
 これはもともと釈迦一尊の上に、そこに今まで先生と思っていなかった方が先生と受け止め直されてくるっていうことは取りも直さずですね、二種の先生の弟子になるということでしょう。しかも、その釈迦一尊の陰に隠れていた阿弥陀さんに出遇わされてくるという、出遇わしめるというところにひとつ、第十七願の世界があるとするならば、これはちょっと……。しかもそれが諸仏の称名で顕される「真実の行」であるとするならば、これはちょっとこれ、やっぱり手に負えないような願心って……。
 しかしそれならば、その第十七願を通しまして今度はいわゆる信心、私どもがやっぱりその、本当に凡夫の身の自覚を誓うという、まさしく第十八願そのものの精神っていうことも明瞭になってくると。宗祖はまぁ十七・十八願を分けて、十七願は十七願、十八願は十八願と。片や「真実の行」、片や「真実の信」というふうに分けますけども、こういう違いということも出てくるようには思うわけであります。
 そういう意味でいきますならば、その信心を開いてくる「行」と同時にやはり、信心が開いてくる「証」ということは決して別なものではなく、同じことがやはり展開、転ぜられてゆくんであって、そこに大事な意味があるんじゃないでしょうか。
 僕はやっぱり「真実の証」っていうことを、「真実の行」っていうことを、別々に受け止めていたわけであります。もしもそういう聞法をしていかれた方々のご縁に出遇って、あるいは南無阿弥陀仏を現わす方、南無阿弥陀仏の人に出遇ったそのことに恩徳を受け止めてゆくとするならば、これは、それを今度は「真実の行」として顕かにしてゆくということが、これは宗祖が示してゆかれた法然上人への恩徳の歩みと、恩徳、報恩行ということにもなるんじゃないでしょうか。
 ま、いろいろこれは申し上げて見たいんですけれども、そういう面で少し十七願の世界を感得ということを、ちょっと粗粗ですけれども申し上げてみたかったわけであります。

  (十五)

 ま、宗祖はこれは、真仏弟子……。
 まぁ以前、僕は「行人舎」(注 宗先生の東京での居宅兼聞法道場)に同居してました期間が長くありましてですね、非常にまぁその宗祖が引文されてます「真仏弟子釈」、これがまぁずっと引っかかっているんですね。これで最後にめくってもらいまして、それで止めさしてもらいます。四時半になりますもんですからね。
 二四五頁です。
   「真仏弟子」と言うは、「真」の言は偽に対し、仮に対する
   なり。「弟子」とは釈迦・諸仏の弟子なり、金剛心の行人な
   り。この信・行に由って、必ず大涅槃を超証すべきがゆえに、
   「真仏弟子」と曰う。
と、有名な言葉ですね。最初は「言う」でありまして、最後はまっ「曰う」というふうに。これもまた僕は分からないんですけどもまぁ、ずっと気に懸かっていることなんですね。
 通称「真仏弟子釈」と言われているわけですけども、これは「真の仏弟子」と読むのか、「真仏の弟子」と言うのか、これはあの受け止め方が分かれるところであります。しかし、そういう面で言えば、弟子は弟子でも、やっぱりその、先生をそんなに何人も持つ弟子ってことは変な話でありますからですね。
 あくまでもこれは、「偏依善導一師」って言われるように、先生はそれはやっぱり一人っていうことになるわけでしょうから、そういう観点で見てまいりますと、やはり、ここにおきましては「真仏の弟子」。
 その「真仏」ということは、そこで言うならば、本当にこれはやっぱりその聞法してゆかれて、単なる知識・教養の先生でないって言いますかね、先生面しないっていうかたちで、聞法してゆかれる先生と。あるいは、あくまでも聞く側に立って、一生涯尽くしてゆかれた先生ってことがここでいう「真仏」として表わされている、こう見てもいいでしょう。
 もう少し絞れば、えぇ釈迦一尊の弟子のみならず、釈迦弥陀二尊の弟子としてこの「真仏弟子釈」ということが、受け止められてこないかということであります。そういう、やっぱりその釈迦弥陀二尊の教えを受けるかたちで初めて、私どもの上に信心が開かれてくるんであると、まぁこういうことなんでありましょう。
 今日はまぁ「信心」っていうことが次第にないのでこれは外しまして、「念仏の一行」ということがありますもんですから、そこに焦点を、置いたつもりなんですけども。
 そういう面で言えば、私どもにとりましてもそういう方々がたくさんこれはいらっしゃるわけでしょうし、現にひたすらただ聞法してゆかれるっていうかたちにおきまして、凡夫の道を果たし尽くしていかれた方々が既におられますし、現におられるということでありましょう。そういうかたちにおきまして、南無阿弥陀仏が私どもの上にまで手渡されているということ。
 そして、そういう南無阿弥陀仏に引き合わされておる私どもにおきましては、かくなる上は何がそこに託されているか、願われてくるかということになりますと、その目の前にまします南無阿弥陀仏を通してこちらが南無阿弥陀仏に成るか成らないか、このこと一つが、いわば迫られてきていると。
 ま、「南無阿弥陀仏に成る」っというか、「南無阿弥陀仏に称う」ということ、南無阿弥陀仏に称うか称わないかと、このこと一つが私どもにその、阿弥陀さんからやっぱり念じられ、また促されているということがこれは、ありますでしょうねぇ。
 まぁそういうことを申しましてですね、その、聞法されてゆかれるってことを通しまして、「助からない」ってことを自覚することがひとつ要であるっということ。で、そのことを通しましてですね、助かり得ない道があるんだと、教えがあるんだと、助かり得ない身を果たし尽くしてゆく仏道があるんだよと。いうならば、現に助かり得ない身を果たし尽くしてゆく意欲というのが本願であり、そういう凡夫の身を持って生きていらっしゃる方々が「南無阿弥陀仏」なんであるということも、一つこれは明瞭な線が出てくるということがあるんじゃないでしょうか。
 亡くなる一カ月ぐらい前におきまして最後に渡邊さん見舞ったときの話が、まぁ申し上げたことなんですけども、
  「救われ得ぬ身に 仏の命脈あり」
と、こういうふうにまぁ申し上げたのが、ナベさんに対しての最後の言葉でありました。
 まぁそういうこと通しますとですね、えぇ「南無阿弥陀仏」っていうことがそうハッキリしてまいりますと、私どもをしてですね、「南無阿弥陀仏」に成らしめて下さる用きをして下さる先生として、やっぱり転ぜられてくると。それが私にとりましての阿弥陀さんを賜る、あるいは阿弥陀さんに出遇ってゆくということなんでしょう。
 したがいまして、そういうただ聞法される方々は一人じゃなくして、よくよく気が付けば一人の人を通して次から次へといろんな人が阿弥陀さんとして見い出されてゆくと、こういうことにもなるのではないかということであります。
 まぁそういう面におきまして、「真実の行」ということが「真実の証」から転ぜられてくるということ。それが取りも直さず、ひとつ粗っぽい言い様になりましたけども、第十七願の精神を感得することに他ならないんであると。その十七願の精神ということは詰まるところ阿弥陀さんに出遇うということ、聞法されてゆかれた方々が自分にとっての先生として仰がれてくること。もう少し言えば、それは取りも直さず釈迦弥陀二尊の弟子足らしめられてくることであると、こういうようなことを少し申し上げるかたちで、ま、時間が少しオーバーしました、ま、今日の特別の発題とさせてもらいたいということであります。
 そういう面で、「念仏の一行」、諸仏称名としての「念仏の一行」、これは同時に、逆に言えば私どもにとって「諸仏」ということは、「真実の証」にもなってくるわけでありまして。そういう面で「真実の証」であって同時に「真実の行」である、「真実の行」であってなおかつ「真実の証」であるところの「念仏の一行」ということを見たいわけであります。
 まぁ百号だそうでありますけれども、これを機により二尊の仰せを通しまして顕らかにしてゆきたいということをまぁ、念ずるわけであります。
 時間が少し、三十分オーバーしましたけども、不十分ながらでありますけども、こんなかたちで、ちょっとまぁ今日はこれでご勘弁下さい。 
                                  (了)

 

  大島義男師略歴
   一九四八年十一月生まれ。
   真宗大谷派の「東京大谷専修学院」事務職員を経て専任講師を「学院」廃止まで勤める。
   現在は、東京において開かれている「雲集学舎」の代表世話人。また、全国各地の聞法会の
   講師を勤める。
   二〇〇一年から本山においての教師修練の「指導」を六回ほど勤めるが、本山において
   「ヒューマニズム」を「真宗の教え」とする側から、「指導として非適任」と判断された。

                   二〇〇二年(平成十四年)十月二十九日
                   東京都西東京市 真宗大谷派・遍立寺において、
                   「一行の会」例会での大島義男特別発題の採録による。
                                 ( 文責 大竹 功 )

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